三重県は「中途半端」?境目であることが多様性を育んでいる|Meets三重ナイト@京都イベントレポート【9/21】

みなさんは「三重県」に対してどんなイメージをもっていますか?


伊勢神宮、松坂牛、パルケエスパーニャ。訪れた経験はあったとしても、なんとなくのイメージしか湧いてこない人も多いはず。なんせ、三重県出身の筆者でさえも、はっきりと「三重県ってこんなところ!」と言い切ることができないのですから。

三重県の魅力って何だろう。
三重県ってどういうところだろう。

そのことを改めて考えるきっかけとなったのが、9月21日(金)京都にあるGROVING BASEにて開催したMeets三重ナイト@京都〜関西から三重とつながるコミュニティ〜




海・山・森と自然豊かなエリアが広がる三重県の「食・自然・観光・趣味・暮らし・働き方」など、ローカルをテーマに新たな三重を発見し、参加者が興味のある分野やエリアなどと交流や関係づくりのきっかけをつくるイベントです。

運営メンバーの藤本(右)、北川(左)。北川は三重県松阪市出身。

20~50代の幅広い世代に集まっていただいた今回のイベント。なんと参加者のほとんどが三重県出身!ここまで県の出身者が多く集まるイベントもめずらしく、集まったみなさんからも「地元に何かしらの形で関っていきたい」という地元愛にあふれた声が多く聞かれました。

本記事では、イベントの中で改めて知った三重の特色、そして今、新たに作られている三重の魅力についてご紹介します。

「三重県」は中途半端!?多様性を受け入れる県民性こそが最大の愛すべき特色

まずは、「これだけは知っていただきたい三重のこと」を三重県庁移住促進担当の河南佑磨さんからお話いただきました。

河南さんは三重県をPRするときに常々、何を売りにすればいいものか悩んでいたといいます。実際に他府県の方からも「三重県って何があるの?」「三重県って何県ですか?」と聞かれてしまうことも……。多くの三重県の人が体験している、この「三重県=中途半端問題」。河南さんはそこで、あることに気づきます。

三重にはたくさんの文化の境目があり、その境目があることこそが三重の特色ともいえるのではないかと。

例えば、東と西の境目。

また二大聖地である常若の伊勢と蘇りの熊野古道、二つの思想の境目。

カップうどんの味の境目。

あほとバカの境目。

丸餅と角餅の境目。

さまざまな境目が県内部に存在し、同県内でも違う文化が両立できている。河南さんは、これこそが三重の特筆すべき文化なのだということに気づいたそうです。

また「境目であることに可能性を感じた」と河南さんはいいます。AといえばA、BといえばBと決めつけず、AもBもいいんじゃない?と言える優しい気質をもつ県民性だからこそ、バックグラウンドの違う人たちが集まり、様々な意見と共に発展していくことができる。そこから大きな可能性が広がっていくからーー。

「これから始まるMeets三重も、みなさんの人生の可能性を広げる境目になるように!」と河南さんの一言を皮切りに、イベントはスタートしました。

震災で心を決めた三重への定住。仕事の目線も他人ごとから自分ごとへ。

河南さんの三重の境目トークでもりあがったところで、ゲストスピーカーの志村和浩さん(シムラカズヒロ計画工房代表)にバトンタッチ。志村さんは2009年から「美し国おこし・三重」に地域プロデューサーとして従事したことを機に、三重県へ。長期の仕事のため、ホテルでの寝泊まりが多く、苦痛に感じていた志村さんは仲間と共に一軒家を借りることにしました。その一軒家こそが志村さんが、今現在も家族と暮らす多気町なのです。

「三重県の北から南まで行かなきゃいけない仕事だったものですから、ざっくり真ん中あたりで家をさがしてみよっかっていうんで、たまたま多気町になったんです(笑)。役場で空き家を探していると話したら、近隣の方が『ちょうど家があいてるよ』って声をかけてくださって。あちこち巡る中で多気町が大好きになって移り住んじゃいましたっていうのではなくて、流れに従って今に至っているんです」

仕事のため多気町に家を借りた志村さんでしたが、その後東日本大震災が発生。子どもたちの今後の生活も考慮したとき、東京に戻るより三重に定住した方が豊かに暮らせると考えたそうです。

生まれも育ちも仕事も東京だった志村さん。住む場所が変わったことで、仕事にも変化が起きたと当時を振り返ります。

「東京では代理店さんから請け負った仕事をこなしていましたが、自分で見つけて仕事をするというスタンスに仕事のつくり方も変わっていきました。東京で暮らしていた時よりも、住む地域のことが自分事になったんですね。東京にいる時は多気町の祭りもただの参加者でした。だけど、住みだしたら祭りにしろ自治会の行事にしろ、自分たちが関わらないとにっちもさっちもいかない。つまり地域が活性化するかどうかが全部自分に関わってくるんです」

「ただよく考えたら、こうした地域行事も回り回って全部自分の仕事に繋がるなって気づいたんですね。空き家を活用しお客さんを呼び込むことも、祭りを運営することも、発想次第では、東京にいるよりも仕事に巡り会える機会が多いんですよ」

地域のことを自分事としてとらえ、さらに仕事として発展させる。このことは地域にとっても志村さんにとってもいい循環を生み出すことになりました。

「代理店を通して仕事を請け負うと、誰のために仕事をしてるか分からなくなることが多かったんです。だけど、三重に移住してからは喜んでくれる人が目の前にいて、しかも喜んでくれる地域が自分たちの暮らす場所だから。お金じゃかえられない、充実感があります」

また志村さんは、知人から自宅の母屋を改装し少女まんが館TAKI 1735をオープン。当初は7000冊だった漫画も地域の人からの寄贈などにより、今は一万冊を超えるまでとなったそうです。

移住した当初、志村さんのことを「何をやっている人なのか?」と訝しんでいた人たちもこの場所ができたことにより、志村さん一家と地域の人たちの間に接点ができ、次第に利用者も増えてきました。

さらに2017年、「少女まんが館TAKI 1735」は東京で飲食店を営んでいた志村さんの奥さんのお母さんの協力により、カフェも楽しめる施設としてリニューアル。地元の人、観光客など多くの人でにぎわう場に育っています。

そうして少しずつ地域からの信頼を得ていった志村さん。地域プロデューサーとしての腕を見込み、「地域の困りごと」について相談を持ち掛けられるようになります。

町から業務委託の依頼を受け始まった宿泊施設「勢山荘」の運営や多気町を訪れた人に町をもっと楽しんでもらうためのアクティビティや体験プログラムの企画・運営も担っていました。

そのうちの1つが農村ワンダーツアー。第一弾として2017年に企画したのが「十五夜・お月見編」。

どうせやるなら本格的なお月見をしようと、地元の年長者の子ども時代の遊びを再現したり、みんなで作ったお餅を食べたりする本格的なお月見をしました。

他にも多気町に伝わる山の神を祀るという再現イベントを企画。現在では地域の祭り事や祭事は少子化などの理由で簡略化されたり衰退することが多くなってきましたが、それをあえて本来の姿に戻し、多気町に訪れる人たちが体験できる形にすることで地域の伝統を守りながら、非日常の新たな体験として訪れる人たちに喜びを与えています。

地域プロデューサーとして、また地域の住人として数々のアイデアで町を元気にしてきた志村さん。移住後もうまく地域住民と関係性を気付けているのは、あることがきっかけで、地域の人から大きな信頼を得ることができたからだそう。

それは志村さんが子どもたちのために奥さんと二人で手掛けたハロウィンイベントでした。お子さんから「三重ではハロウィンはやらないの?」と聞かれ、東京よりも楽しいハロウィンイベントにしようと決意。町の和菓子屋さんやお菓子屋さんにハロウィン用のお菓子を作ってもらうなど、町を巻き込んだプロジェクトを進めたのです。

「移住後はじめてプロディースしたハロウィンイベントをきっかけに、志村という人間がどういう人間かということが地元の方に伝わったらしいんです。地域の子どもたちのこともきちんと考えてくれる人なら、仕事も応援しようと。先日も町の方に『志村君が最初に手掛けたイベントが、よその人が喜ぶためのイベントだったら誰も手伝わなかったかもしれない。地元の子供たちに楽しんでもらいたいって考えてくれたイベントだったからうまくいったんだと思うよ』と声をかけていただきました。とても嬉しかったですね」

多気町で初めてのハロウィンイベントは大成功をおさめ、今では毎年の恒例行事になっています。今年も11/3(土)に開催予定。ミツカルプロジェクトが運営する『高校生レストランのまち・多気町で、食の可能性を探る1日』のプログラムでも志村さんの企画するハロウィンイベントを訪れる予定ですので、ぜひ奮ってご参加ください!

移住・定住担当者が語る「僕たちの町のええところ」

志村さんに引き続き、お話をしてくれたのが多気町企画調整課に勤務する坂下 悠介さん。

なんと坂下さんは小学生の時、自然豊かな場所で畑をやりたいというお父さんの提案により、お隣の奈良県から多気町へ移住。趣味のサーフィンも高じて、三重の自然の豊かさに魅了され、ご自身の結婚後、多気町にUターンしたそうです。

古くは「多氣」と表記されてた多気町。町内には清流宮川が流れ、米をはじめとするおいしい作物が豊富に採れます。そのため、古くから食の生産どころとして栄えていたそうです。近年ではドラマ『高校生レストラン』で注目を浴びた多気町にはドラマの放送から6年たった今もモデルとなった相可高校の学生さんが腕を振るうレストラン「まごの店」へはたくさんの人が訪れているそう。

またもっと多気の魅力を知ってもらおうと始めたのが、「多気町観光地チラリズム」。三重県には別名「餅街道」とよばれ和菓子屋が多く軒を連ねる伊勢本街道があり、その交通の要としてにぎわっていた多気町にも名物「まつかさ餅」をはじめとする和菓子を扱うお店が多くありました。

そんな歴史を表したこちらの写真が、現在も続く和菓子の文化にフォーカスした「和菓子も笑う」。なんだか和菓子が笑っているように見えてほっこりしますね。

観光チラリズムでは、和菓子以外にもたくさんの多気町の魅力がチラリ垣間見える素敵なビジュアルが勢ぞろい。ぜひHPでもチェックしてみてください。

多気町役場「フォトギャラリー」

 

続いては、伊賀市移住交流担当の柘植将さんから伊賀の魅力を教えていただきました。お話していただく前に配られたのは、忍者の保存食として知られる伊賀名物「かた焼き」。「気をつけないと歯をいわしますよ!」と柘植さんから忠告をいただくも時すでに遅し。あまりの固さに口元をおさえている方も(笑)

三重県の中でも他市町に先駆けて、移住専門の部署が立ち上がった伊賀市。すでに100人以上の人が伊賀に移住しているそう。電車・道路などが整備されており、京都・大阪などの主要都市へのアクセスが比較的容易な立地の伊賀市。なんと伊賀市にある柘植さんの自宅から京都駅へは50分というアクセスの良さ!来場したほとんどの人が、「伊賀に行ったことがある」というのですから、その人気ぶりが伺えます。

伊賀忍者の故郷として海外の観光客からも注目を集める伊賀市ですが、その他にも古くは藤堂高虎の城下町として栄えた街並みや、ユネスコ無形文化遺産登録もされている上野天神祭のダンジリ行事など歴史的な魅力もたくさんあります。

この後のトークセッションでもお話されていましたが、「同性パートナーシップ制度」を日本で三番目にスタート。アクセスの良さや、豊かな観光資源を有することでの住みやすさではなく、本当の意味での「暮らしやすさ」を追求しています。

「豊かな自然を求めて移住=暮らしやすさをあきらめる」ということはないですよ、と柘植さん。続々と移住者が増える秘密は、やはり利便性だけではないのだと感じました。

 

ラストを飾るのは鳥羽市の移住・定住係を担う重見 昌利さん。

愛媛県松山市出身の重見さんは、大学進学を機に三重県へ。卒業後は三重県内の会社で土木技師として勤務し、南青山の交差点や県内を奔る国道など、公共施設の測量設計に携わっていたそう。二人目のお子さんが生まれたことを機に、鳥羽市へ移住。当初は土木技師として市の仕事に携わっていましたが、現在は移住担当として鳥羽市を活性化する役割を担っています。

鳥羽は「3つの境目」があるんです、と重見さん。

1つ目は、伊勢湾と太平洋の境目。栄養豊富な水が太平洋の黒潮と混ざり合う場所でもあり、その恩恵を受けて黒海苔や、牡蠣・ワカメの養殖が盛んに行われています。

2つ目は、平野からリアス式海岸へ変わる境目。浅瀬には太陽光が届きやすいため海藻の育ちがよく、それを餌にする伊勢エビ・アワビが豊富に捕れます。その海産物を捕る役割を担ってるのが海女さん。なんと全国で海女さんが一番多い町なんだとか。毎年、鳥羽市で開かれる「海女サミット」は、日本だけでなく韓国からも海女さんが集まる国際的な催しとなっているそうです。

3つ目は、伊勢志摩地方の境目。実は伊勢志摩地方の仲間なのですが、鳥羽だけにとば(鳥羽)されがちなんだそう…(笑)

日本だけでなく世界に誇れることがたくさんある鳥羽市。世界で初めて真珠の養殖に成功したミキモト真珠島があったり、江戸期には お伊勢参り来る旅人たちをもてなすための宿場町として栄えた歴史であったり…食も見どころも多い鳥羽市ですが、他府県から移住してきた重見さんからみた鳥羽の魅力はこんなところにあるそうです。

「鳥羽の魅力は、春はワカメ、冬は牡蠣など食で四季を感じられるところにあります。また御木 本幸吉さんをはじめとする偉人の出身地でもある鳥羽市。海女さんたちもそうですが、町に誇りをもって活躍する人が多く、人生の夢や目標を叶えられる場所でもあるのではないでしょうか」

実際に海女さんになりたいと、鳥羽市に移住を決意された方もいらっしゃるそう。ぜひ伊勢志摩地方に来られた際はとば(鳥羽)さずに、足を運んでみてくださいね!

三重トークセッション「居・職・住・人」について話そう!

ここからは各市町村の特色を「居(地域との関わり)、職(しごと)、住(住まいや暮らし方)、人(地域の活躍している人)」に沿って、写真とともにご紹介いただきました。

鳥羽市の重見さんからは、子どもたちが遊ぶのどかな様子や、漁師さんがギター片手に集まる集会所など海を近くに感じながら暮らす生活の一コマをご紹介していただきました。

また、Uターンした人たちが作ったまちづくり団体『鳥羽なかまち会』では、空き家をシェアオフィスやコワーキングスペースとして活用する取り組みもされているのだとか。その他にも、しま女子(あねーら)のみなさんが路地裏散策をナビゲートする活動など、地域のつながりを感じる取り組みをいくつもご紹介いただきました。

 

続いては多気町坂下さん。食の宝庫である多気町だけに、町内で採れた旬の大豆を中心とした新鮮な野菜と山菜が食べられる「農村料理まめや」や、坂下さん大絶賛の生ハムが食べられる自家製ハム・ソーセージレストラン「山ちゃんち」、地元の特産品伊勢芋を使った料理がいただける「柑里」など地元のおいしいグルメが食べられるお店がたくさんあるのが魅力的です。

また、未来の料理人を育てる「高校生レストラン」として有名な相可高校では、近年、他府県からの入学希望者も多いそう!入学基準は偏差値ではなく、「本気で料理人になりたい」と願う気持ちを第一にしているとのことで、町全体で食に対する文化を育てていこうとする熱い思いが伝わってきました。

最後は、いち早く移住について取り組み始めた伊賀市。柘植さんには、移住してきた人たちの仲間づくりを中心にお話いただきました。

すでに100人以上の移住者がいる伊賀市。そこで移住者が同士が繋がりをつくり、コミュニティが生まれるようなサポートを行っています。さらに伊賀には「スーパー移住コンシェルジュ」がおり、移住に関する仕事や住居などの困りごとに対し相談に乗ってくれるそう。

また伊賀組紐などの伝統産業に移住者が関わっているケースや、「空き家バンク」を通じて住まいを見つけた方のお家もご紹介いただきました。仕事や住居など移住した後も手厚いサポートが受けられる仕組みがあることは、とても安心ですね。

ディスカッションの最後に、「どんな人が自分たちの街に来てほしいか?」という問いにそれぞれお答え頂きました。

志村さん:「アイデアのキャッチボールができる人」

地元の中にいると見えない視点で、まちづくりに関して、お互いのビジネスを発展させることに対して、いろんな職種の色んなアイデアが欲しい。自分の可能性を広げるために多気町に来てみたいと思う人が増えて来ることが大切です。

坂下さん:「多気町の魅力を情報発信してくれる人」

地元の人が当たり前に感じている街の風景や取り組みを魅力と捉え、写真や文章などで情報発信してくれる人が街の中心になって、活性化の一端を担ってほしいです。

柘植さん:「伊賀を好きになって、すこしでも伊賀に対して興味を持ってくれる人」

移住一択ではなく、プロボノ的に伊賀に関りをもってもらいたい。緩やかなファンを増やしていくことで、市の活性化を目指していきたいです。

 

 

続いては来場者からの質問タイム。

「全国各地で移住者を応募しているが、奪い合いにはならない?どういった意識でとりくんでいるんですか?」という鋭い質問が。

これに対しスピーカーの皆さんからは、あくまで奪い合うというより、「移住者が来やすい街を作ること」、「移住者の求めることを加味したうえで移住の提案をすること」などの意見が出ました。その中でも志村さんからは「自分たちが本当に来て欲しいと思った人材に関してはきちんとアプローチをする」といった意見も。移住者目線で考えることを前提にしながらも、街の将来を考えた人材確保はこれからも重要な取り組みとなっていきそうです。

交流ワークショップ「関西での三重のコミュニティづくり!」

ここまで、ゲストトークやトークセッションで、三重の暮らしや仕事についてお伺いしてきました。あっという間に楽しい時間は過ぎ去り、イベントのラストプログラムである、交流ワークショップへ。お題は「関西での三重のコミュニティづくり」です

4~5名のチームにゲストスピーカーが加わり、自分が参加したいコミュニティについて話し合いました。話し合いの最中に三重県の各地の地名が飛び交い、みなさん真剣に案を出し合っていました。

モクモクファームで会合する「モクモク会」や、酒造などでフォトジェニックな写真をとってPRするイベントなどの5つのチームからユニークな案がでた中で、三重県庁の河南さんが実際に取り組んでみたいと思ったチームの案を1つ選びました。

選ばれたプロジェクトは、「夜の三重県好きな人と繋がりたいプロジェクト!」夜=お酒というイメージですが、このプロジェクトはその逆の発想で、お酒を飲まない人でも楽しめる夜を過ごそうというもの。

実は三重県は、お酒の購入率が最全国最下位。遺伝子レベルでお酒を受け付けない県民性なんだとか。(※諸説あります)そこでお酒を飲まなずに楽しめる夜の三重県の過ごし方を考えようじゃないかというプロジェクトという案を考えてくださいました。四日市のコンビナートの夜景や、季節ごとのお祭りなど夜を楽しめるイベントはたくさんありそうですね!

あっという間の3時間。「三重県」という言葉を地元から離れた京都でこんなに多く聞くことができるとは思いもよりませんでした。ゲストスピーカーの皆さんも、参加者の皆さんも本当に三重を愛してやまないんだなと感じる熱意のこもったお話をお聞きし、私自身もあらためて地元三重の良さと新しい魅力に気づくことができたイベントでした。

こうやって参加させていただいたことにより、三重から離れた土地に住んでいても少しづつ関わりを持つことや考えることができる。そのことがまず、自分が踏み出せる一歩目なのではないでしょうか。

最後はみんなで三重(スリー)ピース!

 

次回は10/20@大阪で開催!

ゲストスピーカーに伊東将志さん(夢古道おわせ支配人)をお迎えし、暮らし・仕事やなりわいづくり・地域性などについてお話していただきます。

 ・日時:平成30年10月20日(土)14時から17時

 ・場所:ハローライフ(イベントスペース&就業支援スペース・カフェ)大阪市西区靭本町1-16-14

 ・参加市町:名張市、亀山市、熊野市、紀北町

申し込みはコチラから

みなさんのご参加お待ちしております!

 

 

文・写真 三上由香利